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生きづらい世の中ですが・・・!

この世の中ホント生きづらいのですが、その当りは適当に世渡りしていくしか在りませんね。

まともなことを言っても理解されないことが多いので、まともなことよりみんなと同じ考えを優先されてしまいます。

質の悪いのは、上司なり権力者を味方に付けて威張り散らす人たちです。

こう言う方って、精神レベルの低い方に多く、政治家などが典型的人々だと思います。

都合が悪くなると他人のせいにして、怒鳴り散らすタイプです。


そもそも地球は宇宙から2番目に低い星と言われるほど、精神性に乏しい星ですが、それでも最近多くの方が気付き始めているので、そうそう悲観しなくても、そのうち少しずつ変っていくと思います。

まだまだ兆しが見え始めたばかりなので、そう簡単には変らないでしょうが、着実に変化していると思います。


気付いた方からこのシステムから離れていって、やがて大半が離れれば、地球天国も夢では無いかも知れませんね。

このシステムから離れるには、それなりの出来事や理由が必要になってきます。

多分そう言う出来事をきっかけに、勇気を持てるようになると思います。

経済的破局、個人的なことも含めてリストラや倒産による失業など・・・

また病気や精神疾患など、何かのきっかけで大きく流れが変ることがあります。

一見悪いことに見える出来事も、今後の生き方に大きく作用することがあるので、現実的に考えると悪いことであっても、案外それこそがチャンスだったりします。


あまり悲観的に考えず、適当に生活していた方が、気分的に楽だと思います。

最近私は、適当と開き直りと、楽観視をモットーに生きることにしています。

要するに、考えようが悩もうが成るようにしか成らないので、いちいち悩まないことです。

逆に言えば、成るように成っていくので、そう悲観的にならなくても、「全て天はお見通しだ」と思うことです。

原因と結果なので、原因があれば結果が生まれて当然です。

その結果に振り回されること無く、のんびりお気楽に生きる方が、多分幸せだと思います。

気張らない生き方というのがこれからは良いと思います。


いくら頑張ったって、会社や社会では、単なる駒でしか在りません。

明日死のうと、死んだ後はちゃんと後釜が居て、そつなく回っていくものです。

その程度の社会なのですから、悩む方が馬鹿らしいと思います。

だから適当で良いと思います。

気を病まないことこそが、この社会で生きていく術だと思います。


周りを見回してみてください。

気も遣わず、自分勝手に適当に生きている人の方が、楽しく生きているのではありませんか?

この社会は心の投影です。

心が楽しんでいないと、世の中も楽しくないと思います。

生きることを楽しんでいないと、生きることが苦痛になります。

だからあまり人のことや周りのことを気にせず、もっと自分らしく楽しく生きた方が得だと思います。

自分らしく生きても、他人に気を遣って生きても、同じ時間を使いますから、出来ることなら気を遣わず楽しく行きたいものです。

自己中と周にを気を遣わないとは、意味が違いますので、その当りを習得することです。

傲慢・自己中・頑固では無くて、全てを受け入れた上での自由です。

スピリチュアル的に言えば、自由意志の尊重ですね。

それは相手も自分もです。

お互いが自由なのですから、そこを理解して実践していれば良いのでは無いでしょうか。

罪と罰と罪悪感!

良く「罪深き人間」などと言います。

キリスト教では、懺悔すると罪が消えるとか、イエスは罪を取り消すなどと言います。

罪とか罰って何でしょう?


勿論悪いことをすれば罪に問われますが、それは法律違反と言うことです。

そして罰を受けることになります。

これは秩序を守るための規則なので、それはそれでいいとは思いますが、スピリチュアルで言うところの罪と罰は、罪悪感から生じるものがほとんどです。

法律上は何ら問題が無くとも、自分自身が罪の意識に苛まれることは良くあります。

何らかの事情で子供を手放したとか、世話になった人を裏切ってしまったとかです。

親子関係でも、勘当されてしまったとか、勘当したとかです。


人間生きている以上は、色んなところで罪を作ります。

人間は完璧じゃ無いので、罪を作って当然なのですが、それが単なる無知から生じることが多いので、それに対する罪悪感も持つようになります。

そんなに罪悪感を持たなくても良いようなことでも、常識から外れると罪悪感が生じます。

そしてその罪悪感は、自分を罰する方向に働き、「私は幸せになってはいけないんだ」 などと思ってしまいます。


他人と違うことで罪悪感が生まれます。

例えば法事をしないとかです。

多分親戚から袋だたきにされるのでは無いでしょうか!

他にもみんながやっているのに、自分だけやらないと、変人扱いされたり差別されたりします。

それによって罪悪感が生じることもあるでしょう。

他にも自分に出来ないことで、誰かの世話になってばかりいると、申し訳なさが罪悪感を生み出します。



ほとんどの場合洗脳病から来る罪悪感で、真理を理解していれば罪悪感など持たなくて良いことが沢山あります。

法事をしないことは悪いこと=宗教的洗脳病です。

他にも人間関係のしがらみの中で起きる罪悪感も、お互いの自由意志を認めていれば、罪も罰もない事が分かるはずです。



逆に言い換えると、支配者はこの罪悪感を上手く利用して、私たちを洗脳し従わせていると言うことです。

変な罪意識は、奴隷意識でもあります。

奴隷はいつもご主人様の顔色を伺って、罪悪感の中で生きているものです。

いつも自分を責めて、私さえ我慢すれば丸く収まるなどと考えていると、支配者たちの思う壺です。


もう少し真理を学んで知恵を付けましょう。

この知恵は宇宙の知恵で有り叡智です。

宇宙の叡智を味方に付ければ、この地球の茶番劇も見抜けるのでは無いでしょうか。








むかしの農業!

むかしの農業!

観たら良かったので載せます。

全てが循環してたんですよね!

この当時は化学肥料も農薬もなかった時代でしょうね。

でもちゃんと作れてたんですから、見習わないとね!

思考と意識!

思考と意識は、あまり分離して考えることは無いと思いますが、実は全く別なんです。

思考とは、意識が作り出したものです。

意識は、思考を作り出すものです。

この様に書くと何となく分かると思います。


内観とは、意識によって思考を観察することを言います。

意識とは自分自身であり、魂の本質と考えれば良いと思います。

意識自体に思考があるのではなく、意識が何かを観じるときに生ずるものが思考と言うことになります。

ですから思考は、意識の特性によって様々な展開を示します。

意識の特性とは、その人の持つ霊性やカルマと言ったものが反映されたものと考えれば、何となく分かると思います。



この様に考えると、思考とはその人独自のものであり、一貫性のないものだと言うことも分かると思います。

その時々に観たものが、思考なって現れると言うことになるからです。

思考は様々なものを作り出します。

それは喜びだったり、悲しみだったり、恐怖だったり、怒りだったりします。

これらの思考には、必ずエゴが存在します。

それは自分を主体として周りを観ているからなのですが、普通の人はそういうことは考えません。

思考は全て自分のものだと思い込んでいて、その思考こそが自身の表現だと勘違いしているからです。

自身というものは意識の本質であって、思考ではありません。

思考は意識が主観的に観じ、作り出したものに過ぎないからです。



多くの人が思考の虜になっています。

そして思考こそが自分自身だと思い込んでいます。

しかし思考とは、自分が勝手に作り出した、自分に都合の良い考えに過ぎません。

この様なことに気付くと、内観するときに役立つのではないでしょうか。

雑念とは、車窓を流れる風景のようなものです。

思考も同じです。








周りを気にしない!

みんな自分の思いで生きているのですから、そんなに周りを気にしなくても良いと思います。

もっと自分らしく生きれば良いのではないでしょうか。

しかし洗脳というのは恐ろしいもので、「しなけれないけない病」 を持っていると、みんなと同じように奴隷化します。

この世の中しなければいけないと思っていることこそ洗脳で、別に生きて行ければ、それ以上のことは必要ないのではないか、とすら思います。


みんなと同じじゃないと、生きていけないことは無いと思うからです。

みんなと違って当り前のはずが、みんなと違うと変人扱いされてしまうこの世の中こそ、おかしいのではないでしょうか。

人間やっている以上、好き嫌いもあって当然です。

それなのに周りに合わさなければいけないって、おかしいと思いませんか?


本当はみんな自由なはずです。

宇宙真理から言えば、自由であることこそ愛でもあるのですから、自由であることは宇宙の基本だと思います。

これを法律では人権というのかも知れませんが、生きるという自由は人権でもあると思います。

法律上の制約と、価値観による縛りがあって、一番厄介なのが、価値観による縛りです。

これこそが、「こうあるべきだ」 「こうしなければいけない」 と言う価値観の共有で、これは無意識的に植え付けられた恐怖感のように、私たちを縛り付けます。

簡単に言えば暗黙のルールです。


この暗黙のルールこそ洗脳で有り、従わざるを得なくなるような恐怖に満ちています。

この恐怖は、「仲間はずれ」 「村八分」 「差別」 「いじめ」 と言う形で、襲いかかってくるからです。

組織があるところに洗脳有りです。

組織とは、統制を取るために、様々な規約を作り、枠に嵌めようとしますから、この枠にはまらない人は厄介者と言うことになります。

しかし組織に入ること自体が任意であれば、単なる有志団体なので、自由だと思います。

任意で有りながら強制してくる団体もあるので、そこは注意が必要です。

会社組織のように経済活動が中心の組織は、それなりに厄介かも知れませんね!


結局は自分可愛さに奴隷になっている人が多いので、今のシステムが成り立っているのだと思います。

周りを気にせず、自分の思いを貫く勇気があるのなら、もう少し自由に生きられるのではないでしょうか。

地位や名誉や世間体といったものに振り回されないことが大事だと思います。

こんなものにすがりついていたら苦しいだけです。

本当に幸せに行きたいのなら、自分の気持ちを大事に生きることです。

そうしないと真の幸せはやってこないと思います。


どうして周りを気にして、周りに合わせて、周りに気を遣って生きないといけないのでしょうか?

気を遣うのと思いやるのとは、意味が違うと思います。

そこを勘違いして、気を遣っていることを思いやっていると思い込んでいるのではないでしょうか。

これを 「遠慮」 というのでしょう。

「遠慮」 は美徳なんでしょうか?

日本人の悪い癖なのではありませんか?

遠慮によって多くのことに、損をしているのではないでしょうか!

言いたくても言えない!

言いたいことが言えない!

いつの間にか仲間に成らされている!

変な同胞意識!

連帯感!

互助の精神?

これらは、本当に自分が好きでやっていることなのか、今一度考えてみては如何でしょう。

自然栽培は農業を変えるか

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