生きていると嫌なことがいっぱい出て来ます。
その嫌なことを一度紙に書いて眺めてみると、自分の心の整理が出来ると思います。
ピックアップした嫌なことを考察し、何故嫌なのか?嫌な原因は何か?を考えてみると、色々と分かってくると思います。
原因まで辿り着ければ、案外解決策も見つかると思います。
原因が分からなくても、自分の心の動きは分かると思います。
心の動きが分かるだけでも、改善の余地は出てくると思います。
そもそも嫌だと思う裏返しは、他人の思いと違う事が多い言うことは、理解できると思います。
では自分の思いと他人の思いのどこが違いのかを、調べてみれば案外分かり易いかも知れません。
そして最後に出てくるのは、その違いをどう思うかです。
仕方がないと思うのか!
許せないと思うのか!
どうでも良いと思うのか!
プライドの高い人ほど許せないことが多いと思います。
それじゃ原因は、自分のプライド?
傷つきたくない自分ですか?
一度じっくりと、自分の心を箇条書きして、心の動きを観察してみるのも良いと思いますよ!
多くの人は自分を卑下し、罪悪感を持ち生きています。
恥じるべき自分の行動・言動・思考です。
大人げない自分だったり、エゴ丸出しで人を傷つけたり、逆に嫌だと言えない自分自身を卑下したりです。
そして自分のやったことをいつまでも引きずり、罪意識まで作り出します。
それが酷くなると、自分のやったことに対する、神の報復を恐れたりします。
これが因果応報です。
罰という考え方です。
このような思考形態があると、いつも何かに怯えるようになります。
何も悪いことをしていないのに、みんなと同じじゃない自分を責めたりします。
誰かに逆らうと、罪悪感に苛まれます。
どうしてこんなことになってしまったのでしょう?
神は報復などしないのに・・・!
自信のなさや、怒られる、叱られる、劣等感など、自分を信用していない自分が居て、いつも負い目を感じて生きていると、この罪意識の罠にはまってしまうのです。
お人好しの人ほど、自分を責める傾向があります。
そしてそれによって自分を苦しめます。
不幸を引き寄せる原因は、自分を信じていないことにあるのに、他人のせいにします。
また逆に自分の足りなさ故に引き寄せたと勘違いします。
このような思考形態は、潜在意識に刻み込まれていて、自動発信してしまいます。
そして自分の周りの現象として引き寄せます。
何も悪いことをしていないのに、いつも罪悪感が心の中にあって、自分を良く見せたいと反射的に思ってしまいます。
だから良い子ぶって、いつもニコニコしてる振りをして、相手の顔色を伺って生きるようになります。
権力に対する服従心のように、いつも何かに怯えて暮らすようになるのです。
カルマと言えばカルマですが、刷り込みと言えば刷り込みです。
結局私たちは、この罪悪感という見えない敵と戦っている状態なのです。
もし自分に自信を持って、全てに於いて罪悪感を持たなくすれば、もう少し良い人生が待っていたかも知れませんね。
目覚めるというのは、このような心の癖を修正することでもあります。
ありもしない幻に振り回されないためにも、自分の心と向き合って、罪悪感に苛まれていないか確認してみてください。
以下のブログに結構分かり易い説明と共に、宇宙について色々と書かれています。
魂・心・テレパシー・ホログラム・量子・素粒子などなど、、、!
これらの説明も書いていますので、見てみてください。
オバマ大統領の発言は「真実」と「事実」を公表した
神の使者に出てくる奇跡のコースは、言葉が難解ですね!
そもそも奇跡という翻訳が合っているのかどうかですが、奇跡ではなく「覚醒」とか「悟り」と置き換えた方が、日本人には合っていると思います。
それと精霊という言葉も良く出て来ます。
これも魂とかハイヤーセルフ(高次の自分)と置き換えた方が、理解がしやすいと思います。
後は言葉の言い回しですが、何とも英語っぽいですよね。
もう少し訳すときに日本語らしい訳し方は出来なかったのでしょうかね!
まるで聖書みたいです。
いくつか奇跡講座とか奇跡のコースと言う名前で色んな本が出ていますので、始めは読みやすさを重視して読んだ方が良いかもしれませんね。
前回紹介した以外には、
こちらは何巻か出ていますよ!
こちらも続編が出ています。
全て悟るための本だと言うことです。
勿論熟達すれば奇跡を起こすことも可能でしょうが、それよりも目覚めることです。
心の解放です。
これが出来ないと話になりません。
手段はいくらでもありますが、この奇跡のコースもその一つです。
理解するのは難しくて当たり前ですが、言っていることはどれも同じなはずです。
私がいつもブログで書いていることも、この奇跡のコースで言っていることも、全く同じです。
言い回しや例え方が違うだけです。
それをどう理解するかです。
そして理解は、その人の霊性によって変ります。
浅く理解する人も居れば、より深く理解する人も居ます。
一つの言葉の解釈も、人の数だけあると言うことです。
ですから自分を磨く意味でも、何度も読み返したり、色んな人の本を読むことで、より深い意味が分かるようになると思います。
出来るところからで良いので、始めることが大事です。
始めなければ、何も始まりません。
収穫して半月冷蔵庫に入れておいたレタスですが、全く大丈夫です。
新鮮そのもので、萎れたり腐ったり、色が変ることもありませんでした。
やはり無化学肥料・無農薬は凄いですね。
先日野菜をお送りした方からのコメントでも、うちの大根は最後まで綺麗だったと言っておられます。
で、スーパーで買ってきた大根は見るも無惨だったとか・・・!
化学肥料で無理矢理大きくし、虫が付かないように農薬をバンバン散布しているのでしょうね!
海外では、日本の農産物は、汚染物質扱いだそうです。
化学肥料・農薬まみれて、オマケに放射能まみれとくれば、ホント汚染物質と言われても仕方がないかも知れません。
ちょっと危ない中国より、農薬の量は日本の方が多いらしいので、海外の野菜の方が安全なのかも知れませんね。
オマケに日本の食品添加物の基準は、世界一緩いそうです。
他の国で禁止されている食品添加物も、日本ではOKのものが沢山あるようです。
コンビニの廃棄物を養豚場の豚さんに与えたら、不妊や奇形が多くなり、最後は親豚も死んでしまったと何処かに書いていました。
多分事実だと思います。
今は与えていないでしょうね!
そこへもって食品放射能基準が、100ベクレル以下なんて国は、世界中探してもないでしょう。
昨日もリンクしましたが、ワクチンで殺し、癌治療で殺し、薬漬けにされて、化学肥料や農薬で殺され、食品添加物で殺される国は、世界中探しても日本だけかも知れませんね。
完全に狂っているのに、ほとんどの人が気づいていない国です。
このままじゃ小泉進次郎が言うところの、悲観的な1億2000万人より、楽観的な6000万人にされられてしまいますよ!
人類削減計画真っ只中をどう生きるかは、私たちの心がけ次第でしょうね!
赦すというのはとても難しいと思います。
色んな人がいますから、その人たち全てを赦すのは、何故か自分を否定しているような気持ちになるかも知れませんよね。
折りの合わない人って、自分とは全く正反対の人が多いので、そう言う人たちを赦す事は、自分の性格や考えを否定することのように思えるのでしょうね。
でも赦すって、好きになることではないので、別にそう苦しまなくても良いのです。
相手の性格を認めてあげることが赦す事なので、好きにならなくても良いんです。
こそを勘違いするから、赦すって難しいというのです。
認めるというのは、相手の正確や考え方などを認めてあげることなんです。
それをどうこうしようと思うから腹が立つだけで、要するに放っておけば良いだけなんです。
多くの人がそれらに関わり、嫌な思いをしています。
そう言う方の多くは自己中で、相手のことを思いやれない人が多いのは確かですが、それもその人の考えなのです。
自分に被害を被らないのなら、必要以上に関わらないことです。
そしてそう言う性格の人も赦す事です。
難しいかも知れませんが、いつもそう言う人に振り回されている人って、嫌な人が頭から離れない状態なんです。
いつも心の中に嫌な人が住んでいて、四六時中、心の中に出てくるはずです。
これじゃ嫌な現実を自分自身が創っているのと同じです。
そうではなく心の中では、余計なことは考えないようにしないと、現実に投影しているのと同じになってしまいます。
今ある現実を変えたいのであれば、心の中を整理して、嫌な人を住まわせないことです。
簡単に言えば忘れることです。
忘れるためには、赦しの実践をすることです。
認めることです。
彼らの自由意志を認めた上で、意識を向けないことです。
意識を向けるから、自分の心に入り込んでくるのです。
このような実践をしていると、いつの間にか嫌な人との距離が出来て、もしかすると自分の前から消えていくかも知れません・
赦す事は愛なんです。
認めることも愛なんです。
全ての人の自由意志を認める事が出来れば、全ての人から解放されるでしょう。
意識を向けたり、関わったりすると言うことは、自分の心を解放していないのです。
あらゆる囚われからの解放です。
全てのものはあるべくしてあり、起きるべくして起きるという当たり前のことに気づけば、何一つ囚われることはなくなるでしょう。
赦しの実践は、心の解放なんです。
イエスが奇跡を起こしたように、心に障害物がないと、思ったことが即現実化するようになります。
貧しい人々にパンとミルクを与えたというエピソードがあるように、自然と思いが現実化するようになります。
そのためには、日頃から自分の心と向き合い、どのような拘りを持っているのか?を理解していないと駄目ですよね。
多くの人は拘りだらけの中で生きていますから、現実化は難しいです。
そもそも奇跡自体を、 「そんなことあるわけがない」 と否定し続けている限り、奇跡なんて起きるわけがありません。
奇跡を起こそうと思ったら、今までの概念を捨てることです。
空なんて飛べるわけがないと思っていれば、多分飛べないでしょう。
でも奇跡を起こせば、空も自由に飛び回ることが出来るかも知れませんよ!
奇跡とは物質的手続きを必要としないのですから、何でも可能なんです。
闇の人々は、低いエネルギーを使って奇跡を起こしています。
それは自分たちの都合の良いような条件を作り出すための、悪魔の儀式です。
彼らは執着とエゴが多いので、低級霊の力を借りているわけです。
でもそれにはそれなりの報いが生じます。
タダでは低級霊は動きませんから・・・!
怖いです。
宇宙のエネルギーを利用するのであれば、低級霊ではなく高級霊の力を借りれば、様々な奇跡が起こせるようになると思います。
高級霊はタダで動いてくれます。(笑)
それは愛に基づく高いエネルギーだから、病気を治したりも出来ると思います。
地球という星は、心の障害物だらけです。
その障害物を取り除くことこそが、修行なのかも知れませんね。
「何となく!」 とか 「いつの間にか!」
こう言う時って、あまり頭で考えてないですよね。
「こうしてああして、次はこうやって・・・・」
いちいち考えて行動していたら、訳が分からなくなってしまいます。
だから何となくで良いと思うのです。
物事っていくら考えたって成るようにしか成らないのですから、流れに任せている方が案外楽だと思うのです。
成るようにしか成らないと言うことは、言い方を変えると、成るように成っていくと言うことなので、結果を不安視するよりも未来を見据えて思考した方が良いと思います。
多くの人は結果にしがみつきます。
いつもブログでも言うのですが、結果は既に終わったことです。
終わってしまったことに執着をして、うだうだ考えるより、きっちり見切りを付けて、そうならない努力をした方が良いと思うのです。
いくら考えようが悩もうが、結果を変えることは出来ないのです。
でも未来は変えられます。
私たちが考えるほど宇宙の法則は馬鹿ではありませんから、自分が発信した思いに忠実に現象界を創り出します。
見えない力を信じるのなら、自分を信じて、自分の思いを信じて、未来を創造した方が良いと思います。
そしてその鍵は、「何となく」です。
何となく思うことは、案外上手くいくのです。
何故なら、そこにブレーキになる思考が入らないからです。
深く思ったり、常に考えたりすると、どうしても思考の悪い癖が乗ってしまいます。
執着やエゴや下心や価値観が見え見えの状態です。
これが曲者で、いくら良いことを考えても、自分の中の悪い癖が、良い思考を否定し続けるのです。
だから今までの繰り返しのような未来しか創造されません。
でもあまり心の癖を乗せずに、漠然と思い描く事って、ブレーキが掛からないのです。
だからいつの間にかそうなっていたというようなことも、出て来る訳です。
またその辺りのメカニズムは、追々お話ししていきます。
愛とは、心が喜んでいる状態!
良く歓喜などと言いますが、嬉しくって楽しくってわくわくしている時って、幸せなんじゃないでしょうか。
愛ってそう言う時だと思います。
だから愛の施しも、自分の心が喜んでいないと、本来の愛にはならないと思うのです。
しなければいけないことや無理してやっていることは、例え誰かのための行為であっても、苦痛でしかないでしょう。
後は自分を良く見せたいがために行う行為も、自己満足なだけです。
愛って自然に楽しく出来ることだと思うのです。
何もしなくても、認め赦すことも、愛だと思います。
尊重することは愛だと思います。
みんな愛の本質を間違えて捉えているので、愛の行為はとても難しいことのように思いがちです。
でもそうではなく、愛とは認め赦して、自分が楽しく誰かのお役に立つことだと思います。
そう意気込まずに、自分に出来る簡単なことから始めれば良いのではないでしょうか。
誰かを笑顔に出来たら、それは全て愛の施しなんですから・・・!