食物とエネルギー!
厚生省は、一日30品目とか、栄養バランスなどと言っています。
色々と数値化して、1日当りの摂取量も書かれています。
例えば、1日に野菜350g必要とか言うものです。
そして一日に必要なカロリーも書かれています。
もし厚生省が言うことを守っていたら、多分肥満だらけで、成人病だらけの社会になってしまうでしょう。
そうかと言えば、1日1食だったり、不食の人も居ます。
厚生省の言うカロリーだとか、必要摂取量がもし正しいのであれば、1日1食や不食で生きている人の説明が付きませんよね。
最近畑をやり始めて思うことは、野菜の栄養素ではなく、野菜が持っているエネルギーが、食べる人間の生命に大きく関わっていると思っています。
スーパーの見栄えの良い野菜より家で穫れた野菜を食べている方が、身体の調子が良いのです。
昨年の春辺りから、自分で作った野菜を食べるようになりました。
その結果かどうか分かりませんが、明らかに健康になった気がします。
口内炎も出来にくくなりましたし、鼻炎も出なくなりました。
あと変ったことは基礎体温が上昇したことです。
重労働で筋力が付いただけではないように思います。
筋力だけを言えば、若い頃に仕事をしていたときの方がありました。
でも低体温に悩まされ、風邪を引いたり、鼻炎も頻繁に出ましたから、説明が付かないのです。
自然の恵みという言い方を良くしますが、野菜も同じで、自然の恵みを頂いて育ちます。
慣行農業では、化学肥料と農薬で育てますから、自然環境はあまり重視しません。
逆に、植える土さえあれば何でも育ちます。
その土の状態は関係ありません。
しかし、有機農法や自然農法は、土の状態で生育も変りますし、味も変ります。
多分それだけではなく、それに+自然の恵みが加わるんだと思います。
自然の恵みとは、目に見えないもの、数値で表せないもの、です。
同じ格好をした野菜でも、生命力のある野菜とそうで無い野菜と考えれば、何となく分かると思います。
自分で作った野菜は、冷蔵庫の中で腐りません。
腐らないというか、持ちが長いというか、いつまでも鮮度が良いように思います。
でも化学肥料と農薬で作った野菜は、冷蔵庫の中で良く腐ります。
キュウリがネトネトになっていたり、ニンジンがネトネトで黒くなっていたり、レタスやキャベツがドロドロに溶けていたりします。
でも自分で作った野菜は、あまりドロドロに溶けることも無いです。
これを一言で生命力の違いというか、野菜の持つエネルギーの違いと言えば、何となく頷ける気がします。
私たちは、野菜の栄養素を食べているのではなく、命(エネルギー)を頂いていると考えると、先ほどの1日1食や不食も、何となく説明が付くのではないでしょうか。
「いただきます」 は、「命をいただきます」 だと聞いたことはないですか?
命=その野菜が持つ生命力=エネルギー
私たちは栄養素を貰っているのではなく、エネルギーを貰って生きていると考えれば、エネルギーの少ない化学肥料や農薬まみれの野菜より、有機で育てた、自然に近い野菜の方が、エネルギー量は多いのではないかと思います。
だから今まで病気とまでは行かなくても、体調が優れないという人は、食物本来のエネルギーを摂取していないのかも知れませんよね。
それ以上に農薬や化学肥料による毒素を食べていると考えると、怖い気がします。
化学肥料も多すぎなければ良いのでしょうが、ほとんどの野菜(スーパーの野菜)は、窒素過多で硝酸態窒素が大量に含まれています。
ですから特に葉物野菜は苦くて、直ぐに腐ってしまうのでしょう。
濃い緑色の野菜ほど、硝酸態窒素が多く含まれています。
硝酸態窒素は、身体の中でより多くの活性酸素を発生させたり、結石などの老廃物を作り出すと言われています。
健康な野菜は、葉の色が濃くないです。
有機でも、必要以上に肥料を入れずに育てると、葉の色は黄緑色をしています。
それでもちゃんと育ちます。
確かに成長はゆっくりかも知れませんが、その分自然のエネルギーも一緒に取り込みます。
これが命であり、生命力というエネルギーなんだと思います。
人間もこの生命エネルギーが尽きると、例え点滴や流動食で栄養素を補っても、死んでしまいます。
でも生命エネルギーがある間は、例え意識不明であっても生き続けます。
これは不思議なことでも何でも無くて、多分当たり前のことだと思います。
野菜だけでなく、雑草の生命力はもっと凄いと思います。
もし食糧難になったら、タンポポやオオバコ、土筆やワラビ、ゼンマイ、アケビなど、自然に生えている植物で、十分生きていける気がします。
私たちは食物の栄養素を頂いているのではなく、エネルギーを頂いているんだと思うからです。
色々と数値化して、1日当りの摂取量も書かれています。
例えば、1日に野菜350g必要とか言うものです。
そして一日に必要なカロリーも書かれています。
もし厚生省が言うことを守っていたら、多分肥満だらけで、成人病だらけの社会になってしまうでしょう。
そうかと言えば、1日1食だったり、不食の人も居ます。
厚生省の言うカロリーだとか、必要摂取量がもし正しいのであれば、1日1食や不食で生きている人の説明が付きませんよね。
最近畑をやり始めて思うことは、野菜の栄養素ではなく、野菜が持っているエネルギーが、食べる人間の生命に大きく関わっていると思っています。
スーパーの見栄えの良い野菜より家で穫れた野菜を食べている方が、身体の調子が良いのです。
昨年の春辺りから、自分で作った野菜を食べるようになりました。
その結果かどうか分かりませんが、明らかに健康になった気がします。
口内炎も出来にくくなりましたし、鼻炎も出なくなりました。
あと変ったことは基礎体温が上昇したことです。
重労働で筋力が付いただけではないように思います。
筋力だけを言えば、若い頃に仕事をしていたときの方がありました。
でも低体温に悩まされ、風邪を引いたり、鼻炎も頻繁に出ましたから、説明が付かないのです。
自然の恵みという言い方を良くしますが、野菜も同じで、自然の恵みを頂いて育ちます。
慣行農業では、化学肥料と農薬で育てますから、自然環境はあまり重視しません。
逆に、植える土さえあれば何でも育ちます。
その土の状態は関係ありません。
しかし、有機農法や自然農法は、土の状態で生育も変りますし、味も変ります。
多分それだけではなく、それに+自然の恵みが加わるんだと思います。
自然の恵みとは、目に見えないもの、数値で表せないもの、です。
同じ格好をした野菜でも、生命力のある野菜とそうで無い野菜と考えれば、何となく分かると思います。
自分で作った野菜は、冷蔵庫の中で腐りません。
腐らないというか、持ちが長いというか、いつまでも鮮度が良いように思います。
でも化学肥料と農薬で作った野菜は、冷蔵庫の中で良く腐ります。
キュウリがネトネトになっていたり、ニンジンがネトネトで黒くなっていたり、レタスやキャベツがドロドロに溶けていたりします。
でも自分で作った野菜は、あまりドロドロに溶けることも無いです。
これを一言で生命力の違いというか、野菜の持つエネルギーの違いと言えば、何となく頷ける気がします。
私たちは、野菜の栄養素を食べているのではなく、命(エネルギー)を頂いていると考えると、先ほどの1日1食や不食も、何となく説明が付くのではないでしょうか。
「いただきます」 は、「命をいただきます」 だと聞いたことはないですか?
命=その野菜が持つ生命力=エネルギー
私たちは栄養素を貰っているのではなく、エネルギーを貰って生きていると考えれば、エネルギーの少ない化学肥料や農薬まみれの野菜より、有機で育てた、自然に近い野菜の方が、エネルギー量は多いのではないかと思います。
だから今まで病気とまでは行かなくても、体調が優れないという人は、食物本来のエネルギーを摂取していないのかも知れませんよね。
それ以上に農薬や化学肥料による毒素を食べていると考えると、怖い気がします。
化学肥料も多すぎなければ良いのでしょうが、ほとんどの野菜(スーパーの野菜)は、窒素過多で硝酸態窒素が大量に含まれています。
ですから特に葉物野菜は苦くて、直ぐに腐ってしまうのでしょう。
濃い緑色の野菜ほど、硝酸態窒素が多く含まれています。
硝酸態窒素は、身体の中でより多くの活性酸素を発生させたり、結石などの老廃物を作り出すと言われています。
健康な野菜は、葉の色が濃くないです。
有機でも、必要以上に肥料を入れずに育てると、葉の色は黄緑色をしています。
それでもちゃんと育ちます。
確かに成長はゆっくりかも知れませんが、その分自然のエネルギーも一緒に取り込みます。
これが命であり、生命力というエネルギーなんだと思います。
人間もこの生命エネルギーが尽きると、例え点滴や流動食で栄養素を補っても、死んでしまいます。
でも生命エネルギーがある間は、例え意識不明であっても生き続けます。
これは不思議なことでも何でも無くて、多分当たり前のことだと思います。
野菜だけでなく、雑草の生命力はもっと凄いと思います。
もし食糧難になったら、タンポポやオオバコ、土筆やワラビ、ゼンマイ、アケビなど、自然に生えている植物で、十分生きていける気がします。
私たちは食物の栄養素を頂いているのではなく、エネルギーを頂いているんだと思うからです。
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