あるがまま

あるがまま


囚われない事

それは宗教や供養と呼ばれるもの

毎日の生活習慣

日本人である事

地域社会のシキタリ

みんなと同じである事

社会ルール

などです。

自分自身が枠を創り

その中に当てはまらないものは除外するといった行為は、自分の価値観の中でしか捉えられなくなっているという事です。

最も典型的なものは宗教かもしれません。

教えの違いや供養の仕方が違うだけで、排除する風潮が有ります。

そもそも教えや供養といった概念を持つ事自体問題なのですが、それに気づこうとしません。

すべての答えはあなたの心の中に有ります。
そして供養と呼ばれるものは何を意味する事なのでしょう?

祟りだの、亡霊だの、浮ばれないだの、供養が足りないだの、これらの言葉は4次元幽界に操られた囚われに過ぎません。

そしてこの4次元思想こそ、3次元の囚われが創り出した世界である事を認識すべきです。
3次元世界に囚われたまま肉体を失った霊は、現世と同じ世界が必要だったのです。

しかし、もう4次元世界は消滅する事になっています。

「あるがまま」
この言葉は、とても深く聞こえるかもしれませんが、とても単純でもあるのです。

「現状に囚われず、事象を見たままに観じなさい」という事なのです。

宗教や社会や習慣やルールなど、人は余りにも物事に囚われ過ぎています。

「事象」これは目の前で起きている事です。
「あるがまま」とは、その目の前の出来事を、見たままに捉える事です。

人は見た物を「ああでもない!こうでもない!」と理由や理屈をつける癖があります。
この理由こそ囚われなのです。

周りがこうだから・・・
いつもこうしているから・・・
こういうルールだから・・・

何かが起きた事に理由は必要ないのです。
起きたことは事実であり真実なのです。

一つの物事にたくさんの人々の感情が渦巻き、やがて単なる事象が、大きな波紋となるのです。
誰かの一言が「社会問題やデモ」に発展することもあります。

価値観とは、捉え方の違いであり、その人が勝手に解釈した事に過ぎません。

「あるがまま」に物事を観ると言うことは、真実を観るということです。
勝手に事象に意味をつけないことです。

心が囚われなくなると悩みもなくなります。
比較や評価・価値判断と言った全く基準の曖昧な物に囚われないでいることこそ、「悟り」であり、「解脱」であり「空」なのです。

自分に押し付ける習慣も然りです。
それを心地よいと感じるならばともかく、義務的にやっているのなら、それも囚われです。

これからアセンションに向けて、この囚われをなくすことが大切なのです。

上でもなく下でもなく

右でもなく左でもなく

ありのままを観じること

これが「悟り」です。

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