基準という考え方

基準という考え方

この「基準」という考え方をしていると、真理から遠ざかってしまいます。

今叫ばれている「二元性」も、この捨てられない基準から出てきた苦しみです。

一人一人能力の違いや、長所、短所があるように、すべての人が同じであることはないのです。

それなのに私たちは、ある一定レベルを設けることで、人の優劣を判断します。

すべての人がいろんな能力を持っているのですから、何かを基準に物事を考えると、それに満たないことも有って当たり前なのです。

音楽の得意な人にフルマラソンで一位を取らせるようなもので、バレーボールの得意な人に細かな手芸をさせるように、人それぞれ向き不向きというものがあります。

これがその人の能力であり役割であり、優れた部分なのです。
優れた部分もあれば劣った部分もあって当然なはずなのに、人は何かの基準を設けて、やたらとその枠の中に入れようとします。

長所や短所だけではありません。
地域の風習や規則も、ある意味とらわれかもしれませんね。

また会社(仕事)によって優劣を決めていたり、勿論学歴や偏差値だってそうです。

今までの世の中は、この「基準」というものを中心に
すべての判断が下されてきました。

しかしこれからの世は、この基準というものはありません。

すべてが役割であり愛なのですから、すべてが素晴らしいのです。
そこに基準など無く、ありとあらゆるものが、それぞれの能力の中で愛を顕現していることに気づけば、基準など無いことが分かるはずです。

何が良くて何が悪いと言うこともなく、すべてが愛の顕現であり、ただ幼稚な愛の顕現方法しか知らない人たちも存在すると言うだけなのです。

すべての人がすべての進化の中で、自分にあった愛を顕現して生きてるのです。

「基準」もそうですが「否定」も良くありません。
これらの考えは、必ず自分の価値観を基準としていたり常識で判断していたりします。

お釈迦様が言われたように、「あるがまま」に世界を見ることです。「上でもなく、下でもなく、右でもなく、左でもなく」です。

右だと思っている自分に気づくことです。
気づいたら修正すれば良いだけです。
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